どらねこ路地裏研究所

医療や福祉、社会のことを路地裏から見て考える

「思い出を作る」「思い出になる」

もう、この暑さ、どこかへ行く気力もないので、ひがみかもしれません。

夏休みになると、半ば強迫的にか、子どもが小さいと半ば強制的にか、、、どうかは、わかりませんが、レジャーに行きます。みんな同じように行くので、道路は渋滞、駅や空港は混雑……

そのレジャーの大きな目的は「思い出を作る」こと

 

なんか、ヘンですね

 

この出来事がよい思い出として残ってくれればいいなーと願う気持ちはわかりますが、修学旅行じゃないんだから、、「作る」のか~ (修学旅行だって、みんなで過ごした記念に行く話でしたが、今は何か学んでこないといけないようですが…)

主たる目的が、未来の自分もしくは未来の子どもが「よい」と思うこと になります。

よい過去であったと思うために、今を計画し、遂行しているのでしょうか

 

今を好きなように、あるいはなるようにしかならないように、過ごした結果、心に残ったものが思い出に「なる」。思い出の思い出たる位置、過去として残って行くものが思い出、意味からするとそんなところでしょうか…

 

「思い出を作る」は、言葉としてムリがあり、未来のための今なの? というつらさがありますね。

 

周りの人に「ハワイに行ってきたの~」と自慢ができたり、「私も、海、行ったわー」と同じようなことはしてるわと言えることも重要かもしれません。そしてまた、こんなに暑い中、家にいると「どっか、行こー」と言いたくもなります。

 

でももし、強迫的、強制的に、楽しみを作る、未来の思い出のために「今」を使うとしたら、なんかヘンだなーと思ってしまいます。

今しかない「今」はどこに行ったのでしょう

海や山へ行ったり、レジャーを楽しんだりすることが、今やりたいことならそれで充分、、、未来の自分から見て「よい」と思えるかどうかは、別の話かも、、

 

地球沸騰の毎日に驚き、ハイシーズンのレジャー代の高さにもびっくりし、なおかつ、テレビでたくさんの人出を見て胸が詰まり、結局どこにも行かない怠け者です。

 

(でもこのあいだ、隅田川日の出桟橋から浅草まで舟に乗せてもらい面白かったんですよ(花火大会ではありません) 歴史的にも有名な橋、橋の下をくぐり、あー、江戸だ!東京だ!🎐

時は流れますが、未来の自分や子どもたちが、この「今」をどう思うかなんて、何の保証もないですものね、、)